訃報 白瀧名誉会長ご逝去のお知らせ

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12月14日(土)白瀧弘子名誉会長(高女8回)がご逝去されました。

令和元年10月28日で百寿(ももじゅ)でいらっしゃいました。

謹んでお悔やみ申し上げます。

突然の事で個人的に交流のおありでした方々には特にご落胆もいかばかりかと存じます。

ご葬儀は既にご家族で済まされ、1月10日に納骨式との事で、納骨式には富田元会長、織茂美和子さん(高校10回・元副会長)、小澤美知子さん(高校9回・元会計)がご出席の予定です。

  納骨式: 平成2年1月10日(金) 11:00 より

  場所:  養玉院(品川)

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 「なでしこたより」1号(1991年)より

眠れる撫子の目覚め 会長 白瀧弘子(高女8回)

私は調布高等女学校時代、昭和七年に入学し、十二年に高女八回生として卒業いたしました。諸先輩を差し置いて、烏滸がましくも ここ十年余り会長という役名をいただいております。 途中大きな戦争を経て、六・三・三制度に変わり私学故に母校は中学校・高等学校となり、卒業生も高女は二十一回まで、以降は高校一回から本年で四十三回生を迎え、会員数約一万三千名の方々がここから巣立ち、日本全国、また遠く海外にも住まわれて、それぞれに川村理助初代校長の提唱された「精進の訓え」を胸に秘め折に触れ実践されて、多くの方々から信頼を得ておられることと存じます。 創立者西村庄平先生は昭和八年に亡くなられ、夫人ノブ先生が後を継がれました。西村家ご長男の一郎先生は川村前校長より戦時中 に校長を譲られ、多難な時期を乗り越え、短大も設立されてただ今は名誉学園長としての日々をお過ごしでございます。 十年余り前から中・高の校長は西村一郎校長から安藤清吉校長に、学校法人理事長も数年前より島田正就先生にと交代されました。 折しも、出生率低下による生徒数確保のために、校名・校舎・制服を改めることで学校の宣伝をする風潮が一般化し、母校もその波 に乗ったのです。校舎・制服までは善しとしても「校名変更」は同窓生として認められず、期せずして眠れる獅子ならぬ撫子が目を覚まし、何が正しいか心静かに考えようという気運がたちまち卒業生 の心から心に伝わり、学校側に説得しなければならない立場となり、二年近くの話し合いでようや く私どもの学校を思う心がご理解 いただけ、今までどおりという解 決ができた次第でございます。 「ありがたいことに、その結果お互いに顔も知らなかった方々と太い絆で結ばれ、知恵も心も寄せ合いながらさっそく昭和七年以来の規約も現代に通じる形に改定し、役員の足並も揃いました。 皆様のお力と学校側のご好意でようやく会館の建築費も完済し、ここに自力で会報発刊の運びとなりましたわけで、今後は皆様のお役に立つ会報として発展いたしたく、数多くのご寄稿をお願い申し上げます。

(校名はこの後、2004年に「田園調布学園中等部・高等部」に変更されましたが、これも良い名前だと思っています。創刊号ですし熱い時代も感じて欲しくてこの記事を選びました。賛否ご意見がございましたらお寄せください。)




※.2020.01.08 訂正. 上記の納骨式ご出席者 小澤美知子さんのお名前が ”美和子" となっていました。大変失礼いたしました。ご指摘いただきました渡部明子さん、どうもありがとうございました。以後記事のお名前には十分気を付けます。 事務局 佐藤真由美(高校26回)




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